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a tokyo based manicurist, hatsuki furutani's salon works from a.m.s. ebisu place in shibuya

2013-05-20

古谷葉月の世界の終り マヤの予言と蒼ざめた馬

a.m.s.恵比寿プレイスです。

こんにちはー。あらこのネイル素敵。これはマヤ文明のネイルだね。マヤの古代文字のネイル。


マヤの暦のワンクールが2012年の12月に終了したら、世界が終わる。とか言われてたけど、少なくとも私解説者マサ子(仮名、38歳)の世界は終わっていない模様で、毎日6:30に起床しては会社に行って、働いた気になって家に帰ってくる。世界とはそうそう終わるものではないらしくて、今までも色々終わる終わると言われていた1999年7月って言うのもあったけど、結局終わらなかった。私解説者マサ子(仮名、38歳)の小学生低学年の頃、何が怖かったかって 二つ怖い事があって 一つ目は1999年の7の月にアンゴルモアの恐怖の大王が空から降ってきて、なんやら知らんが世界が終わる。よって、1999年の7の月はわたし解説者マサ子(仮名、38歳)の24歳の年にあたるので、小学校低学年の私は24歳までしか生きられないと信じて、心底おびえていた。でもまあそれはさ、だいぶ先の事だからまあ良いとして、当時はまだ冷戦してたからさ、「核戦争」っていうのが今よりもっと身近だったような気がするんだよね。確か私の記憶に間違えがなければ、皆様の国営放送が「核戦争が起きたら東京の町はどのように破壊されるか」という恐ろしいシュミレーション画像を作って夜のスペシャル特集で、有楽町の町が崩壊し、新幹線がぶっ飛ぶ巨神兵も真っ青の超特撮画像を放映したりなんかしてたよね。あれ、何か意味があったのかなあ?子供をひぃひぃ言わせるため?はたまたアメリカの恐ろしい核戦争シュミレーションのTV映画、「デイ・アフター」つーのも上映されていたはず。それらの映画やテレビ、すなわち、核ミサイルにより有無を言わさず一瞬で人がむごたらしく死に都市や国が破壊しつくされ、黒い雨が降り白い灰が舞い降りる映像の片鱗を見て、わたし解説者マサ子(仮名、当時8歳)は心の底から震え上がった。ちびり、震え、夜も寝れない程不安に怯えた。核戦争が来たらどうしよう。んで、まあ何をしたかっつーと、「キャンディ・キャンディー応急箱セット」に、包帯と絆創膏とピンセットと空になった液体飲み薬の瓶に水を入れて押入れに常備した。擦り傷用の包帯と絆創膏と水200ccで核戦争に対応するんだから、冷戦下における昭和の子供っていうのも結構大変だったよね。しかし最近は核戦争つーのも何だかどうも時代がかって感じるし、今時の子供たちっていうのは何に心底ちびりあがって怯えているのかしら?

それでは。